『生物学的文明論』 歌う生物学者による現代社会への批判

投稿者: | 2011年11月15日

 本書の基本的なスタンスは、現代の社会のあり方を考えるためには、数学・物理学的発想だけではなく、もっと生物学的発想を取りいれるべきだ、ということにある。この立場から、著者の長年の生物学研究において得られた知見や考察に基づいた、文明論的なエッセイあるいは論考が語られている。

 全部で11章からなる本書は、ラジオでの講義をもとにしたものであるという。

 第1章「サンゴ礁とリサイクル」から第3章「生物多様性と生態系」までは、サンゴ(サンゴ礁)の話題が中心である。共生について実例を挙げつつ述べたあと、生物多様性や生態系の重要性について解説している。ここでは例えば、サンゴの形は褐虫藻が日光を得るために適したものになっていることをはじめ、サンゴがいかに褐虫藻へ配慮しているか(擬人化しているがサンゴがそうした生活様式をとっているということ)が述べられていて面白い。そうしたサンゴと褐虫藻との共生を軸に語られる話は、サンゴ礁と褐虫藻の共生が外洋にオアシスを生んでいるという、「奇跡」を実感させてくれる。この他、テッポウエビとハゼの共生も興味を引いた。また、いわゆる掃除魚の制服(身体の配色)が、種や地域に関わらず世界共通だという話も面白かった。

 第3章の終わりあたりから、文明論や現代の科学技術社会への批判が増えてくる。例えば、第3章の結びでは、質より量への転換という、最近の流行りとも思われる思想を著者も説いている。ただ、率直に言えば、このような議論や主張の多くは、単にこう思うと述べられているだけで、著者の研究体験や生物学的な知見にはほとんど結び付けられておらず、根拠にはやや乏しい印象を持った。

  第4章「生物と水の関係」では、生命にとって不可欠である水について、その分子の特異性や、生物にとって水とその性質が持つ意味に触れている。ここでは、ミミズでは骨格の代わりを水が果たすという話題が面白かった。静水骨格というそうだ。ただ、前章と同じく、ここでの科学批判も、科学の捉え方がやや浅くステレオタイプ的な印象を持ったし、生物多様性を守る根拠も感情論に傾斜していると思った。それでも、コメの輸入は水の輸入である、というのはコメをはじめとする様々な食糧を輸入している日本人は、心すべきことであろう。

 第5章「生物の形と意味」からは、ベストセラー『ゾウの時間ネズミの時間』で紹介されている類の著者得意の話題に、いよいよ踏み込んでゆく。導入は終わった、さあいよいよ本題へ、という感じである。本書によって日本でも有名になった生物のサイズ、エネルギー消費量、寿命などの関係について、この分野における知見をわかりやすく紹介している。なお、もしこの辺の解説がやや物足りないという場合には、上記の新書か、もっと新しい『生き物たちは3/4が好き』がお勧めである。また、本章で述べられている、物理や化学はHowという問いには答えられるもののWhyには答えられないが、生物学は答えられる(進化的観点から)という見解は、マイアによる生物哲学的議論(『これが生物学だ』などを参照されたい)を、連想させた。

 これらの解説を踏まえ、第9章「「時間環境」という環境問題」から、本格的な文明論へと入っていく。そして、現代人は超高速時間動物であり、最近はさらに恒環境動物へ向かっているという、ユニークな指摘をしている。そして、直線的時間概念に縛られている現代を、時間環境問題という言葉(初めて聞いた)を用いて批判している。

 第10章は、定年を迎えた団塊世代(著者と同世代)に向けて書かれている章に見えた。ここでは、還暦を過ぎた人間は「人工生命体」であり、人生は正規の人生(本来に寿命における人生)とのニ部構成であるという、やや過激な主張が目を引いた。これは決して否定的な意味ではなく、著者自身は間接的な生殖活動(子や孫の世代の支援)に老後の意味をみつけ、うしろめたさの少ない老後を過ごすべきだ、と老後の生き方の指針を引き出している。別の箇所ではさらに、若者は未来も含めた利己主義者になれ、老人は利己主義そのものを卒業せよ、と述べている。

 最後の第11章「ナマコの教訓」が、実は最も面白かった。ここまでは、テーマが文明論ということがあるにせよ、やや抽象的な記述が多い印象であった。しかし本章では、著者自身による若き日のナマコ研究の内容や、その動機について、具体的なエピソードも含めて語られている。そこから導かれる、人間はエネルギーを投入して環境を作り変えようとし、ナマコは省エネに徹して環境を天国にした、というのが、我々に視点の転換を促す面白い考察である。

 以上のように本書は、生物学の視点から現代の文明を語ろうという意欲的な論考・エッセイ集である。とは言え、文明論としては、それほど新奇なことを述べているわけではないと感じた。それでも、縦横に引き出される生物学的話題は、著者の視野の広さを物語るし、文体には著者の研究者としての人柄が垣間見えた。面白い生物学的な話題も豊富で、雑学的読み物(と言っては失礼だが)としても楽しめる。また、ビジネス書として読む人にも、インスピレーションを与えるような内容が多いと思う。

 なお、著者は「歌う生物学者」としてCDまで出しているが、その名に違わず、巻末にはおまけとして、ナマコ天国の楽譜付きである。そして、この歌の締めくくりに、本書のテーマが透けて見える。地球環境を破壊してきた我々は、ナマコから学ぶべきなのである。

 ♪ 砂を食べてりゃ 砂を食べてりゃ 砂を食べてりゃ この世は天国 ナマコ天国 ナマコ天国 ナマコのパラダイス

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